アニメ海外の反応まとめ[あにかん]について
外国人達のオーバーリアクションな反応が翻訳文からでもよく伝わってきて、それを読むとそうそうここが面白かったよねとか、こんな細かい描写にも気が付くなんて凄いなとか、特に自分も気に入った同じアニメを見て共感した嬉しさがこみ上げてきます。
そういった外国人の反応を手間をかけて翻訳して記事にしてくださるサイトの存在を知り、主に自分が閲覧するのに便利なようにこのアニメ海外の反応まとめ[あにかん]を作りました。
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誰かが、「メトロポリマンこと生流奏が死ぬまでは厨二病的、米田我工が登場してからは哲学的」と書いていた。なるほどそういう側面もあるとは思うが、生流奏編も実はとても哲学的だったと思う。「自分の幸せのためには悪党の死が必要だとしたらどうするか」は十分哲学的な命題足り得る。主人公、架橋明日が最後まで自分の手を汚さなかったのは事実だが、いくら六階堂の赤い矢が刺さっていたとはいえ、結局六階堂七斗は止めなかった(止められられなかったではなく明らかに架橋の意志として止めなかったし)、生流奏の死を引きずることなく花籠咲との結婚という幸せを享受する。これは「主人公である架橋明日の生き方を完全に正当化できなかった」原作者、大場つぐみの敗北であるとも言える(ひょっとしたら狙い通りかもしれないが)。
もし最初から確信犯的に、生流奏の死と六階堂七斗の家族愛故の殺人ならびに六階堂七斗の死を交換する予定だったなら、「お涙頂戴にするとはあざとい」とは思うものの、僕自身の「幸せに対する姿勢と結論」と全く同じであり、なのであの時点の解決策としては嫌悪感はない。
最初から大場つぐみが【命の交換】狙っていたとすれば感想は「あざとい」ではなく「暗に掛橋明日の生き方を否定するとはいじわるだなあ」であるし、僕は生流奏の死でホッとして花籠咲と呑気に結婚して喜んでいる架橋明日の方が、腐った「護憲派」のリベラリストそのものなので、反吐が出るほどいやらしくて嫌だ(まあそれも大場つぐみの人物造形かも知れないが)。
米田我工編は大場つぐみが本当は『デスノート』でもやりたかったことのような気がする。というか夜神月を悪として否定し月(ライト)の醜悪な死で終わることを大葉当人が納得していなかったのではないかと邪推する。とはいえ週刊少年ジャンプであれ以上の深掘りは不可能なので、今回トコトンやってみたのだろう。そのきっかけは『バクマン』の終盤に出てきた「REVERSI」という作中作品なのではないか。
とはいえ、大場つぐみの毎度ながらの妥協のなさと容赦のない考察は彼の特筆すべき才能であり素晴らしい。
この作品がキリスト教圏で不評だったのも仕方ない。彼らキリスト教徒の思考の限界を超えている。彼らにとってこの作品はタブーそのものだからだ。日本人以外にここまで掘り下げるのは無理だろう。